きりのちはれ

やみときどきひかり

おもうがままに。

『君の名は。』の感想を書きたくなった、という話

私は映画…というかアニメやドラマなど、創作の物語の映像が好きな方だと思う。

しかし、感想を言語化することは基本的にない。

だが今回、『君の名は。』を観て、どうしてかとてもその感想を伝えたいという気持ちになった。

せっかくなので自己分析を兼ねてその良さを綴ってみようと思う。

なお、この文章ではCMや予告から読み取れる以上のストーリーには触れないつもりだ。

まだ作品を見ていない人にも、既に見た人にも、自分の抱いた感動を伝えられると嬉しい。

前段① 映画の何を楽しむか

一体映画の何を楽しみにして観ているのだろうか?

ストーリーの良さ、声優さんの演技、映像の美しさ、音楽、話題性、キャラクターの魅力、題材との縁(例えば地域や時代)、その他制作者への愛着…
楽しみ方は十人十色だろう。

私が「ああ、いい映画だったな。面白かったな。」と感じるとき、

あるいは「この映画を観たい!」と思うとき、

どのような要素を中心に据えているか。

過去の自分の感想を振り返ってみると、

  • ストーリー
  • 映像の美しさ
  • キャラクターの魅力

であることが多いような気がする。

勿論それ以外の要素も楽しさ・感動に資することはあるが、中心ではないように感じる。

前段② なぜ普段、感想を綴らないのか

実はこのブログの下書きにも、書きかけの映画の感想が沢山存在している。

しかしそのどれも、書き上げて、公開することができなかった。

どの映画の感想も、書いている途中で自分の中で陳腐化してしまうのだ。

たとえばストーリーが素晴らしい映画を見た時、

そのストーリーの素晴らしさを主題とした感想を抱くわけだが、

では果たしてその感想は、本当に『映画』に対して抱いた感想だろうか?


原作小説を読んで同じような感想を抱く自分が想像できてしまうと、

『映画』として本当に素晴らしかったか、自分の中の感覚が揺らいでしまうのである。


これは、映像の美しさやキャラクターの魅力についても同様だ。

その作品が漫画で、小説で、ドラマで、ゲームであったとして、

本当にその『映画』が素晴らしいと感じられるだろうか?

その作品の感想を自分の中で整理するうち、特別な作品が、特別でなくなってしまうのである。

君の名は。』の何が良かったのか

さて、前置きがとても長くなってしまったが結局『君の名は。』の何が良かったのか。

一言で表すなら『映画固有の表現力の高さ』だと思う(一言か?)。


この作品は世間でも大変な盛り上がりを見せており、

感想自体は色々なところで見ることができると思う。

などなど、評価されている点を挙げるとキリがない。

しかし私個人の感想としては、

その一つ一つが飛び抜けていたかと言われると、そのようなことはないのでは?と感じる。


どれも満足の行くレベルにあり、特に映像については圧巻といえるだろう。

だが個々の点に注目するならば、もっと優れた作品は他にもあると感じた。

現実と非現実の挟間

たとえば映像美について「実写みたいってそれ実写のほうが綺麗でしょ」という意見を目にする。

映画を見る前の自分もそう思っていたし、見た今でもその意見が間違っているとは思わない。

主人公の演技についても、どれだけ賞賛されていても、

声の出演という一分野に限ればもっと上手い人は居る。


キャラクターも、ストーリーも、音楽も、どれもそうだ。

ならばなぜこの作品に限ってこんなにも自分の中で印象に残ったのか。


その答えこそが『映画固有の表現力の高さ』だ。

登場人物たちの容姿も人間性も、そして演技もどれも決して完全無欠なものではない。

「主人公らしさ」なら、絶世の美男美女で、善人で、演技力も高ければ高いほど良いだろう。

だがこの作品の登場人物たちはそうではない。どこか生々しい人間らしさを感じさせるのだ。


そしてその周囲にはまるで写真のような、見知った土地が描かれる。

見知った景色でありつつも、現実では一瞬で消えてしまう美しい一瞬を捉え続ける。


その中に、この作品の等身大の登場人物たちが暮らしている。


現実のようだ、こんな事もありそうだと感じる反面、現実では決してありえないとも感じる。

この現実と非現実の境界線上に居るような浮遊感が、

新海誠という人物の描く世界の魅力なのではないだろうか。

溢れだす情報量

もう一つ、この映画の演出として感動につながった(気がする)要素を挙げたい。

それは、情報量の多さだ*1

この作品には二人の主人公がいる。

都会の少年・瀧と田舎の少女・三葉だ。

環境も性格もまるで異なる二人の精神が入れ替わりながら物語は進む。

あるときは入れ替わった自身の状況を知らない三葉としての視点で。

またある時は同様に自身の状況を知らない瀧の視点で。

そして時には二人の状況を同時進行で。

断片的な情報を交互に与えられたり、過剰な情報を与えられたりする。

登場人物の数も少なくない。

どの場面も人物毎の立場でみるとごく自然なのだが、

両方を見守る観客の立場としては、少々疲れるスピード感と行っても過言ではない*2


これが普通の映画なら*3

まず間違いなく不満に感じた自信がある。

だがこの作品でそうは感じなかった。


頻繁に切り替わる場面と等身大の主人公2人から溢れる情報と感情。


これに、先に述べた浮遊感のある映像と、王道なストーリー、沢山の魅力的な音楽

すべての要素が重なることで、他の媒体では作り得ない

『片時も目が離せないエンターテイメント』として仕上がっていたと思う。

おわりに

これからこの作品を観ようという人がいるならば、

「作品全体を、素直に楽しんでください」

と伝えたい。

無論、何を楽しむかは個人の自由だ。特定の要素にこだわって批評するのもよいだろう。

しかし私は、個々の魅力を楽しみつつも、

全体として過剰とも思える情報と映像美に流されて味わう不思議な感覚の中にこそ、

この作品の最大の魅力があると思った。


君の名は。』はいいぞ。


もう一周見に行こっと。

*1:奇しくも数日前に見たシン・ゴジラでもこの点が取り上げられていて、これが今年のトレンドなのだろうか…などとも思った。

*2:CMでおなじみに「入れ替わってる!?」の辺りとかもまさに。

*3:普通の映画の定義とかそういう難しい話はやめてね