星空を撮る技術
フィンランドでのオーロラ撮影中や、SNSなどでアップする写真(基本的に星空)を見て
「星空の撮り方を教えて欲しい」というお声を頂くことが多々あったので
自分の趣味である星撮りについて書いてみたいと思います。
星空を撮るのに必要なもの
今現在自分が使っている機材はこんな感じです。
星空を撮影されている人々の装備を見ると、
物凄いゴツく高価でとっつきにくく見えます。
しかし実際に星空の撮影を始める際に必要な機材はさほど多くありません。
カメラ と レンズ1個 と 三脚
だけで十分に楽しめます。
カメラとレンズ
星空を撮るのに適したカメラとレンズは、大雑把に言うと以下のような感じです。
これらの数値が何を意味するかわからない方も居ると思いますが、
端的に言えば「暗いものを明るく撮る設定ができる」ということです。
上記要件を満たし、安心感があって割合お手頃なカメラが以下の2機種でしょうか*1*2
Canon デジタル一眼レフカメラ EOS Kiss X7i レンズキット EF-S18-55mm F3.5-5.6 IS STM付属 KISSX7I-1855ISSTMLK
Nikon デジタル一眼レフカメラ D3300 18-55 VR IIレンズキット ブラック D3300LKBK
これらは付属のレンズだけで夜空以外の様々なシーンを撮影でき、
かつレンズ交換が効き、最もシェアの大きい定番機種なので
より良い写真を撮りたくなったときでも手頃に対応できます。
ちなみにCanonの方は私の機種の新型です。欲しい。
三脚
ぶっちゃけ最初はなんでもいいと思います。カメラを支えられれば。
「安定感が~」みたいな話がよくありますが、
よっぽど過酷な状況やこだわった角度で取ろうとしない限り、
どんな三脚でも低くして使えば安定感が問題になることは無いと思います。
私自身ミニ三脚(2000円程度)で普段は十分だと感じています。
…と言った感じで、新品で揃えるなら6万円ほど、
中古でうまくやれば4万円ほどで機材は手に入るかと思います。
撮影する手順
星空を撮る際に必要な手順は
- 星を明るく写すための設定をする
- 三脚に乗っけてピントを合わせる
- コンディションに合わせて調整する。
という感じです。
星を明るく写すための設定
レンズのオートフォーカス(AF)を切る
星空はAFではうまく捉えられないので、
レンズ側面のスイッチを操作してAFを切ります。
本体をマニュアル撮影モードにする
カメラ本体は通常「明るい場所でうまく撮る」ためのモードになっています。
これらの設定では星空をうまく撮ることができないので、マニュアルモードにします。
F値を出来るだけ小さくする
F値とはレンズ側の明るさで、小さいほど明るくなります。
また、望遠するほど暗くなるので、星空を撮る場合には基本的に一番広角状態にします。
ISO感度を800または1600にする
「センサーが光を強く捉える設定」です。
高ければ高いほど鮮明に星を撮れるのですが、同時にノイズも増えてしまいます。
幾ら星が沢山写っても、ノイズで真っ白になっては台無しなので800または1600が適正です。
シャッタースピードを10秒~15秒にする
星空の光をしっかりとセンサーに届けるために必要な時間です。
レンズの明るさやISO設定でもっと短くすることもできますが、
先述した機材、設定に対する適正値は10秒以上です。
ちなみに月明かりや街明かりも時間に応じて強く写りこんでしまうため、
これより長くすると真っ白になってしまう状況も多いかと思います。
シャッターをセルフタイマーにする
星は小さいのでシャッターを押す瞬間の振動で大きくぶれてしまいます。
なので、シャッターを数秒のセルフタイマーにしておきます。
ピントを合わせる
ここからは現地で外に出てからやる必要のある操作です。
ピントは無限遠でもある程度は合うのですが、
綺麗に写そうと思うと無限遠より手前で微調整が必要です。
星がよく見える場所に出たら、とりあえず三脚にカメラを乗っけましょう。
まずは星空を眺めます。
そして適当にすごく明るい星を選びます*3。
その星の方に大雑把にカメラを向けましょう。
カメラをライブビューモード(液晶画面に被写体が映るモード)にします。
バリアングル機種をおすすめした理由はここで、
固定液晶だと画面を見るために地面に座り込む必要があります。
その状態でピントリングをゆっくりと回し、狙った星が表示されるピントを探ります。
画面の中に星が入ったら、その星が中心になるようにカメラの向きを微調整します。
その状態でライブビューを拡大します 。
星が大きく写りますので、改めてピントリングを慎重に回し、
星が最も小さくなるように 頑張ります。
微調整
ここまでの作業で、概ね星を撮影する準備は整いました。
シャッターボタンを押してみましょう。濃淡明暗はあれど、星が写ると思います。
三脚本体や雲台を動かし、撮影したい方角にカメラを向けてどんどん撮りましょう。
方角によって空の明るさは異なるので、
都度都度シャッタースピードとISO感度を変更してお好みに調整します。
終わりに
今回書かせて頂いた内容はあくまで基本となる一例です。
撮影していく中でもっと良い設定、機材が見えてくることでしょう。
私自身まだまだ挑戦も気づきも多いです。
ですが、星空好きな皆様への一助となれば幸いです。
もし星を撮りたいという方がいたらお気軽にお声をかけてください!٩( 'ω' )و
オーロラを見てきました
フィンランド旅行をしてきました。
全体の諸々は別途上げるとして、とりあえず主目的であったオーロラ観測の話を。
第一夜
翌日に飛行機でロヴァニエミまで700キロほど北上。
ロヴァニエミは北極圏まであと数キロという地点にあり、
オーロラの観測地としては比較的大きな街です。
オーロラをどうやって見ればいいのか右も左もわからない状態だったので、
そこで現地の日本人向けツアー moimoi号(モイモイ号)に参加しました。
moimoi号の参加費用は約1万円、片道1時間程度の観測地(日替わり)へ移動、
コタという大型テントで軽食を摂りながら2~3時間のオーロラ鑑賞/待ちをするというものです。
この日は市街地の北西方向、スウェーデンへ向かう道中の湖が観測地となりました。
現地に着くと既にオーロラが出ているということで、説明も早々に一団で観測へ。
真っ暗な湖上に出ると、北の空に薄ぼんやりと明るい切れ目のようなものが見える*1。
※この写真は後から彩度を落として肉眼での見え方に近づけています。もっと煌々と写ります。
ガイドさん曰く、強さとしてはさほどでもないが大きさと持続は悪くなかった模様です。
思い切り開放するとこんな写り。うおー。やばい(ボキャ貧)。
オーロラをバックに一人でにっこにっこにー。周囲の視線がだいぶ痛い*2。
結局この日は数時間に渡ってオーロラは絶え間なくその姿を見せてくれました。
お陰で終始自分はコタに入らず空を眺めていたため、軽食にほとんどありつけず凍えました。
第二夜
翌日はロヴァニエミからバスで4時間ほど北上して本格的な北極圏の町、サーリセルカへ。
北緯69度という極地ですが、オーロラリゾートとして日本人には有名らしいです。
1km~2km四方程度に収まるものすごく小さな町で、
20分も歩けばオーロラを鑑賞可能な暗さが得られます。
ただ、町の北側に山(スキー場が)があって低い空が見づらい…。
微妙に低い空が明るいような…と思っていたら突如拡大。
ファイトだよ!視線が無いから痛くない!けど寒い!
この後オーロラも一段落したっぽいので帰路についていたら、
肉眼でもはっきりと分かる…というか何事かという位に緑色に輝きだしました。
慌ててカメラをセットして撮影。
うっかりレンズに当たった呼気が凍ってる\(^o^)/
写真は諦めてぼーっと街中から空が静かになるまで眺めておりました。
第三夜
スキー場が邪魔だったなーという反省と、
どうせここまで来たなら限界まで北上したいという気持ちがあり、
この日はサーリセルカでの現地ツアーに参加することに。
こちらのツアーはmoimoi号とほぼ同様の構成で、サーリセルカから更に数十キロ北にあるイナリ湖へ。
道中で一度路肩に停車し観測タイムになったものの、オーロラは非常に微弱…。
すぐにバスへ戻り目的地イナリ湖へ。
肉眼風に再現するとこんな感じでうすぼんやり。
思い切り開放してもこの程度の弱々しさですが、赤いオーロラ。
そしてものすごい勢いでひらひらと形が変わっていくのが素敵でした。
第四夜
オーロラ予報は素晴らしかったものの、サーリセルカはあいにくの曇り空。
それでも切れ間から見えないかと期待して外に出ていたものの、
物凄い強風と氷点下31度という気温で現地のおば様から諦めなさいと諭され断念。
おわりに
オーロラぱないです(ボキャ貧)。
「肉眼だと写真ほど綺麗に見えないんでしょ?」というのは一面では事実です。
あそこまで鮮やかな色は肉眼ではなかなか見えないのだと思います。
しかし肉眼で見るオーロラが地味かというと決してそんなことはありません。
空の広範囲が色づいて輝き出しその形を変えていく様は本当に圧巻で、
写真ではとても伝えきれないものがあります。
地球が丸くて、太陽からエネルギーを受けていて、頭上に大気が存在している
そういうスケールの大きい宇宙的なさむしんぐを実感します。。。
個人的な感想としては「満天の星空と次々現れる虹をいっぺんに見ている」という感じでした。
オーロラぱない。
for文を書くともやもやするという話
たまには技術者的な話題を。
N = 10; for(i = 0; i < N; i++) { //do something }
説明するまでもないことですが、for文とは「処理をN回繰り返す」構文です。
プログラムを書いたことがある人で、この構文を書いたことない人というのは多くないのではないでしょうか。
皆さんはfor文はお好きですか? 私は最近、for文を書くことに抵抗感を覚えます。
あまり上手くお伝えできる気がしないのですが、自分なりにfor文への違和感を言語化してみたいと思います。
ちなみに私はどちらかというとオブジェクト指向*1派な人間だと思います。
なのでおそらく、「オブジェクト指向的な観点」で語られることをご承知下さい。
for文は何のために書かれるか
for文を利用する時、私達は一体なにをしようとしているのでしょうか?
- コレクションの要素に対する処理
for(i=0; i < count(items); i++) { hoge(items[i]); }
要素の集まりをなめる、いわゆるイテレーションですね。
実際にこのような実装をする場面がどれだけあるのかは存じかねますが、
for文による実装の典型例の一つかと思います。
ここで、要素数count(items)
は、items
自身に関する情報です。
「itemsのみによって知る情報を元に1,itemsに処理を適用している」と読めます。
すなわち成したいことは「コレクション自身に対する処理」です。
自分自身に対する処理で、その情報を外に取り出して判断を委ねるべきでは無いと思います。
- N個の要素に対する処理, N回の処理(ストレッチ)
N = someNumber; for(i=0;i<N;i++) { fuga(items[i]); }
N = someNumber; for(i=0;i<N;i++) { stretch(); }
このようなfor文の利用はそこそこ多いのではないかと思います。
- たくさんある要素から"幾つか"を選択して処理をしたい。
- "何度か" 処理を重ねがけしたい。
自分自身まだ整理しきれていない部分ですが、このような要求が発生すると自然に
たくさんある要素 や 処理 の方に注目してしまいがちだと思います。
- 「沢山のデータを集めてきて、そのうちの幾つかを取り出したい」
- 「ハッシュ化処理を1000回重ねがけする」
"沢山のデータ"や"ハッシュ化処理"が文脈の主役に見えるのでは無いでしょうか。
このような状況をオレオレワードで"主役の入れ替わり"ガンダムSEED Destinyと呼んでいます。
すなわち、ここで真に注目すべきは "幾つか" "1000回" の方では無いかと思うわけです。
幾つか選ぶということは「幾つか選びたい」原因がどこかにいるはずです。
これはコード上の「constで宣言」とか「どこそこのオブジェクトから渡ってきた値が」
という話ではなく、もっと抽象的な、顧客が本当に欲しかったものレベルの話です。
「100個中3個を処理する」のであれば、 3個を要求する何か がいるはずです。
somethingが要求するもの/用意する枠が3つあり、
その各枠に対するイテレーションの結果3つの値が残る…と考えるべきでないでしょうか。
同様に「1000回hashする」時、hashを1000回やるのではなく、
何らかの要求に基づいた 1000回というモノ が居て、自分自身の各回に基いてhashを呼ぶ…
と考えられないでしょうか*2。
何が言いたかったか
繰り返しになりますがfor文は「何回か」処理を行う構文です。
では「何回か」とはなんでしょうか。
こいつの正体に向き合うことは、その裏側にいる要求を見ることに他ならず、
「何回か」を根拠に基づいた「モノ」に落としこめるのでは無いでしょうか。
そして「何回か」が無くなるのであれば、
必然的にfor文を書く場面は無くなっていくような気がしています。
この辺を突き詰めていくと、手続き指向とかオブジェクト指向とか関数型とか
そういう概念の本質の一端に触れられそうな気がするんだよなぁ。
小さな話題だけど色々な方の知見に触れて考えを深めてみたいものです。。
むにゃり。
【未来系】ぼやぁじゅぐるぅぷを退職します【退職エントリ】
退職とか触れ回るつもりはあまりないんですが、 意表を付く形で退職エントリを書いてみたいという好奇心はあり、誰も読まないブログに書いて拡散しなければ良いのではないか、と思いました。
なので万が一この駄文がお目に留まっても拡散はしないでくださると幸いですw
掲題の通り、2012年新卒入社から約3年お世話になってぼやぁじゅぐるぅぷを退職いたします。 私のような若輩の面倒を見てくださった皆様には感謝の念で一杯です。
なぜ退職するのか、最大抽象出力点的なことを言えば「自身が会社の力になれないと感じ、その状況に投資して頂くことに耐えられないから」となりましょうか。
その内部実装に触れるなら、
・技術・非技術問わず自身の能力が格段に上がり、3年前に見えなかった様々なものが見えるようになった。
・入社時から会社が追いかけていた上場というイベントを経てそれなりに時が経ち、見えるものがあった。
・環境が変わり(あるいは自分の受け止め方が変わり)、音楽性の違いが大きくなってきた。そんな中で尊敬する諸氏が辞められた。
とかとかまぁそんな感じでしょうか。それ以上に細かい話をするつもりはないし、しても詮無いなぁと思います。 (こういうのって得てして/意に反して悪口か綺麗事に引き寄せられてしまうと思うのです)
自身の価値観により職を退くわけですが、一般的な価値観で言うならばお世辞抜きにぼやぁじゅぐるぅぷさんは悪くない会社さんだと思っています。
最期に所属しているであろうチームのメンバーや環境に不満は全くなく、今後これほどの環境に出会うことはあるのだろうか?と思うくらいに尊敬につきます。 待遇面でも私の如き雑魚エンジニアに500まんえん以上出してくれていたわけで、感謝の極みです。 しかしまぁ、それほどの良い環境にあってなお埋めきれない齟齬を感じてしまった、というのが退職のきっかけでございます。
ウィッシュリストやら何やらはその時が来たらTwitterにでも晒しましょうかね… 残された時を頑張りましょう、頑張ります。おやすみなさいませ。
2014年にやったことを羅列する
2014年が終わりかけているので、今年の記録をまとめてみようと思います。
感想やなんやはおいといて定量的に。
色々な場所へ行った
写真を撮った
- 月
- 星(撮れなかった)
- 桜
- 紫陽花
- 紅葉
- ポートレート
- 雪
前年比で人の写真を多く撮ってみた気がする
走った
合計距離:416.72km
最長距離:32.4km
最長時間:3:30:47
5km最速:22分42秒
- 10km最速:48分53秒
21.1km最速:1時間55分16秒
神奈川県まで走った
- 千葉県まで走った
学んだ
- 応用情報技術者取った
簿記2級取った
システム監査の勉強を少し始めた
- 司法書士の勉強を始めた
英語の勉強を始めた
- とりあえず年明けTOEIC
SICP2.5節辺りまで来た
- カーネルチューニングとかちょびっと教わったりもした
- Scala始めた
その他
- やせた。53kg~55kgで推移(身長169.5cm)
- カメラを買い替えた
- モンハン買った
- スマブラ買った
- 年齢的な都合か元クラスメイトとよくあった気がする
- (一応)株始めた
すごいことはしなかったけどコンスタントによく動いたかもしれない。 あと友達と遊ぶことが増えたかもしれない。
後ろ向きな勉強会のすゝめ
今週をもって会社の同期たちと行っている
の勉強会が1周年を迎えました。
※アフィリエイトリンクを貼りましたが、sicpの内容はインターネットで閲覧することができます
それにあたって振り返りを実施し「この勉強会のスキームって異様だけど有効だよね」という話題になったので、その特徴を紹介したいと思います。
ちょっと長くなるかもしれませんが概要だけ読んでも意味が無い気がするので、
興味のある方は背景から読んでいただけるといいかもしれません。
おそらくこの話の対象となる人
- 勉強する!という決意を定期的にするが長続きしない自堕落な人
- そこまで勉強したくないけど勉強しないとなぁ…と思っている適当な人
- スピード感はおいておいて、とりあえず継続的に勉強を進めたいマイペースな人
おそらくこの話の対象とならない人
- 自力でバリバリ勉強が出来る人
- 勉強会をうまく進められた経験のある人
- スピード感を持って勉強を進めたい高意識生命体
背景
勉強ってめんどくさいですよね。
これに同意できない方は素晴らしい人格をお持ちなのでどうかそのままのあなたで居てください。
さて、SICPとはまさちゅーせっつこけこっこの非常に有名なプログラミングの教科書です。
まだ30%程度しか読み進めていない私でも、
ここまで学びがありかつ洗練された構成の本に出会ったことはないと認めざるを得ない名著です。
そして同時に、数多くの人が途中で挫折する超難読書でもあります。
「なんとかSICPから学びを得たい。しかし自分(たち)みたいな自堕落な人間は100%挫折するだろう。」
という思いのもと 勉強(会)が頓挫する要因を排除する ルールを構築することにしたのです。
ぼくのかんがえる勉強(会)が頓挫する要因
落ちこぼれる
人と一緒に勉強している時にありがちな問題が落ちこぼれです。
自分以上に理解の深い人・進みの早い人が居ると焦りを覚えます。
この差がある程度広がってくると「もういいや」という諦めに達してしまいます。
間が空く
何かを定期開催する際、数回連続で中止/不参加になると
「もういいか」という気持ちが芽生えてきます。
中止にするハードルはどんどん下がり、やがて開催されなくなることでしょう。
また、なんとかその状況を脱しても「何をやっていたんだっけ?」という後戻りが発生し、
主題の進捗が滞り副次的なやる気の減退要因となることでしょう。
利益がわからない、優先度が下がる
「何のためになるんだろう」「この時間を他の事に充てたほうが有意義かも」
勉強をする際に内心でこういった考えを抱くことは多いのではないでしょうか。
そこを強い意志でどうにかするのが優等生ですが、誰もがそんなに真面目なわけではありません。
ルール
前置きが長くなりましたが、以下が私達の勉強会のルール(概略)です。
勉強会は週に1度2時間実施する
業務やプライベートな用事、一度に集中できる時間を考慮して週2時間としました。
この程度ならば大体の場合になんとか都合をつけることができ、
これを超えるとどうしようもないケースやめんどくさいという負感情が発生しやすいと考えました。
予習をしてはならない
一番大きな効果を発揮したと思われるルールがこれです。
個人の自由ではありません。してはならないのです。
予習は短期的に見ると個人の学習を進めるのに役立つでしょう。
しかし、誰かの理解が進むということは、相対的に他のメンバーが遅れるということなのです。
この差が「遅れている」という焦りと、「もう終わってるから暇だ」という怠惰につながり、
せっかくの対面勉強会の時間の質を下げるのです。
「誰かが予習しているから自分も予習して足並みをそろえよう」?
なりません。
我々はそんな高意識生命体ではありません。人は怠ける生き物なのです。卑屈な生き物なのです。
ただし勉強会の時間で遅れを感じたならば復習をするのは自由です。
全員参加(4人)をもって実施する
これも予習禁止と似たような目的ですが、進捗の差を容認しないルールです。
また、不参加が自分一人ではなく全員に不利益をもたらすという心理障壁により、なんとか参加せねばという思考になります。
ただし、これに付随して以下の特則を設けています。
- 予定時刻に参加できない者は、全員が参加できる日時に調整する責任を負う。
- 参加者全員に弁当(400円)をおごることでその週の開催を中止できる。
勉強会の開催回数を確保すること、それが難しい場合には原因となった人物に罰則、影響を受けた側に利益を与えるルールです。
1年間(推定50回開催)の途中でやむをえず脱退する場合、残り回x100円を勉強会に寄付する
「もう勉強会やめようぜ」を抑止するルールです。
やめる側に障壁があることも効果の一つですが、実は「勉強会を続ける利益」を明確化&増大させることが目的です。
とりあえず1年間勉強会に参加していれば
- 5000円の罰金を払わなくて済む
- SICPから学びが得られる可能性がある
- 他のメンバーが辞めた場合に罰金を受け取れる
という状態ですね。
まとめ
他にも細かいルールやひっそりと期待している効能等々あったりするのですが、
長くなってきたので切り上げたいと思います。
良識のある方、勉強の得意な方、人の内なる可能性を信じている方からすると
ネガティブ、邪悪、無駄…などなど嫌な印象の勉強会かもしれません。
しかし、低意識生命体の身からするとこのような負感情・失敗を前提としたルールは意外と有効なものです。
実際に1年間継続して勉強を進め、学びを得られている(と思っている)わけです。
もし勉強に頓挫した経験の多い方がいらっしゃれば、一度このような「後ろ向きな勉強会」を検討されてみてはいかがでしょうか!